クリス・サリバン『コンシューミングスピリッツ』

Chris Sullivan Movie Talk from Typhoon Graphics on Vimeo.

クリス・サリバン『コンシューミングスピリッツ』のトークショー

金子遊さんとゲストに吉田アミさん、土居伸彰さんを迎えて、「アメリカの鬼才、クリス・サリバンのすべて」という番組を作りました。1人で、15年を掛けて映画を作ったというクリス・サリバン氏の来日記念番組です。

パラダイス・ガレージの時代

暗闇の中を手探りで進む。壁が軋み低音が響き渡り、身体の奥にある細胞を刺激する。スモークにレーザーやミラーボール、ケミカルなファッション、踊り狂う人々、毎日が世紀末の連続で常に過去や未来をループしながら再生している。そんなクラブカルチャーが誕生してたのは80年の末、90年代の「レイヴ」やミレニアムを迎えて再び勢いを付けた「イビサ」まで、現在も多くの人々を魅了し、今や国を上げての市場にまで昇り積めたダンスミュージックだが、それはアメリカの片隅から浸透していったのだ。

「最初のディスコ・ブームが訪れた六〇年代は、ダンス・ミュージックというカテゴリが生まれるよりも何年も前のことだった。人を踊らせるための音楽作りを専門としたプロデューサーなど存在していなかったし、人々をダンスフロアに駆り立てることを目的とするグループもいなかった。その頃はどんなグループや歌手も、多彩な曲を出すことが普通だった。バラード、ミディアムテンポのナンバー、ブルース、R&B風の曲、典型的なポップソング、そしてアップテンポで踊れる曲などが一緒くたになっていた。しかし、そんな中にもよりダンサブルな曲が存在していたのも確かだ。誰だって、ピーター・ポール&マリーよりもモータウンの曲に足が動いてしまうものだ。だがその頃のダンス・レコードはあらゆるところから出てくる可能性があり、実際にそういうことが起きていた。したがって初期のDJの最も重要な仕事の一つは、毎月発売される大量のレコードをくまなくチェックし、最もダンサブルな曲を見つけ出すことだった。ビートルズからザ・テンプテーションズ、オーティス・レディングからハーマンズ・ハーミット、ペトラ・クラークからザ・シュープリームスまで、あらゆるところに可能性があった。そして〈アーサー〉のテリー・ノエルのような優れたDJたちは、フランク・シナトラやボブ・ディランといった、全く予想外のアーティストたちの作品の中から、フロアに最適な曲を見つけだしてきた。」

それは選曲だけではない。ターンテーブルを二台使うなんて、誰が考え出すんだろう。客のリクエストカードに応えるだけなんてもってのほかだった。DJが自ら感じ提供する事で一体化する「ヴァイブ」となったのだ。

「DJの先駆者たちはダンサブルな曲を探すだけではなく、レコードをプレイする方法においても様々な試みをするようになった。六〇年代半ばまでは、レコードをかける行為自体に何らかの芸術性があるなどと考えるのは馬鹿げているように思えた。もちろん、DJの優劣は存在し、中でも最も優れた者は、客の雰囲気を感じ取り、選曲と曲順によってその夜のエネルギーを変幻させることができた。しかし、それ以上の創造性は発揮しようがなかった。ターンテーブルが一台しかないDJブースで、DJにそれ以上何が出来たというのだろう?

 通常は選曲が終わるとしばらくの間音が止まり、客はダンスフロアを離れたり、パートナーを変えたり、もしくはその場で立ち話をしながら次の曲がかかるのを待った。それが至極当然と思えたのは、生バンドが演奏する場合も同じだったからだ。しかし転機が訪れたのは一九六五年頃、テリー・ノエルが〈アーサー〉のブースに二台のターンテーブルを設置し、交互にレコードをプレイするようになった時だ。彼は曲がフェードアウトするところで次の曲をかけ、ダンスフロアに休む間を与えないようにしたのだ。今日ではそれがあまりに当たり前になってしまったため、原始的にさえ思える。現代のDJたちは曲をノンストップでかけるだけでなく、それらをミックスし、何時間にも及ぶ綿密なセットにブレンドしていき、ダンサーたちを精巧なトリップへと誘う。しかし、当時はレコードがノンストップで次々とプレイされるというだけでも十分に新鮮で、それだけで人々は熱狂したのだった。」

更にダンサー達の要望は限界を知らない。創造性は新たな手法が開発されるとともに、快楽もピークに迄達したのであった。

 「音楽において画期的なスタイルが誕生する背景には、様々な革新がある。例えば、曲の新しい書き方、歌の新しい歌い方、新しい楽器の使い方や編曲の仕方にリズム、新しいマーケティング・アイディア、新しい技術など。もう一度繰り返すが、「ただの偶然などあり得ない」のであり、その時まさに起きていたことも、偶然などではなかった。あらゆる方面から革新の波が押し寄せてきたのが一九七三年であり、それが総合的に基盤を築いていったのだ。

 ディスコというスタイルが形成されていくに従い、DJたちは新しいレコードのかけ方を模索し始めた。一枚のレコードを継ぎ目なく次のレコードを繋ぐという技は、既にニッキー・シアーノ、デイビッド・マンキューソー、ラリー・レヴァン、フランキー・ナックルズといったパイオニアたちが極めてしまっていたために、それだけでは不十分だった。彼らは新しい方法で曲を作り変えたり、曲の途中からかけたり、引き延ばしたり、自分たちのやり方で自分の色を加える方法を探し始めていた。もちろん、そんなことをするのは不可能に近かった。大抵のDJは二台のターンテーブルで、同じ曲のレコードを二枚使ってミックスすることを試みていた。そうすることいよって多少の個性を発揮することは出来たものの、全く同じレコード二枚ではできることが限られていた。私の友人のDJである何人かが、いい解決策を考案した。もし同じ曲のインストゥルメンタル・ミックス、つまりヴォーカルの入っていない伴奏だけのレコードが手に入れば、いろいろなことができるというのだ。曲のヴォーカル部分で突然インストゥルメンタルに切り替えたり、曲を引き延ばしたり、様々なリフやフックを孤立(アイソレート)させることでエネルギーを増進出来る。そして客の興奮がピークに達したところでDJがヴォーカルをぶち込めば、フロアを爆発させることができた。」

DJを語るには必要な原形である。それは偶然でもあり、必然であったのではないだろうか?まるで空を眺めていたら繋ぎ合わさった星座のように何もかもが革命的だ。そして、本書には現在も「パラダイス・ガレージ」や「ラリー・レヴァン」が何故リスペクトされているかを生々しく語られている。それが良かったのか、正しかったのかは分からない。その為には踊り続けながら最悪な航海に出るしか無かったのだから…

<参考資料>
メル・シェレン 著(浅沼優子 訳)『パラダイス・ガレージの時代〜NYCクラブカルチャー・光と影』(2006 ブルース・インターアクションズ)
ISBN-10:4860201760

フィルムメーカーズ-個人映画のつくり方

フィルムメーカーズ-個人映画のつくり方

序章で金子氏は語る。金子遊:”映画はたった一人の個人の手で作ることができるものです。日本には戦前から作られ続けてきた小型映画の歴史があり、戦後も幾度とない八ミリや一六ミリのフィルムによるホームムービーの流行がありました。そして近年、一九九〇年代半ばから二〇〇〇年代にかけては、家庭用ビデオカメラの高画質とノンリニア編集の一般へ普及が、個人による映画・映像制作の後押しをしてきたと言うことができます。”

松本氏”商業映画を制作する場合、多くの人間がかかわり予算の問題も絡んできて、計画的にやらなくては物事が動かない。そういう作り方の窮屈さに対して、詩人が詩を書くように、絵描きが絵を描くように他人にとやかく言われないで自分自身の映画世界を作っていけるのが個人映画です。”

作家の「言霊(たましい)」が込められているのだろう。

http://ja.wikipedia.org/wiki/フィルムメーカーズ_個人映画のつくり方

言うまでもないが松本氏の映像に対する洞察力は素晴しく芸術の域に達している。
評論集『映像の発見』のインタビューからドキュメンタリーという意識。”外部的な現実世界において、人間の意識が気づかずにいたものが突如意識のなかに入り込んでくることがあります。人間は自分が接する世界を自分との関係のなかに整合して、ある一定の意味的秩序のなかに収まるように認識するものです。”

一方、無意識の
”……..もう一つは、アバンギャルドの問題です。自分が気づかない無意識の世界が、妙に気になる形で表に底から頭をもたげてくることがあります。本能とか、突然襲ってくる狂気とか、自分でも理解できない何かが蠢くときがあります。自分自身の秩序立った世界が自明のものとして成り立たなくなり、もっと混沌としたカオスへと突き落とされていく。そのカオスがもたらす世界は、先ほど話したドキュメンタリーの世界が意識の外側から来て意識を錯乱するのと。とても似た働きをします。この二者は対照的に見えるけど、サイフォンの通底器のようにその底で繋がっているのではないか、と思いました。”

<参考資料>
『フィルムメーカーズ-個人映画のつくり方』金子 遊
ISBN 978-4901592635

『アメリカ黒人演説集』荒 このみ (訳)

1863年にリンカンは「奴隷解放宣言」を行っていたが、その後、100年以上も抑圧されていた。
オバマの登場と共に時代が変わる。

1963年8月28日にキング牧師の演説「I Have a Dream」は、行われる。民衆を動かした。
ハウス・ミュージックのシカゴレーベル「Trax」からの「Can You Feel It」にもサンプリングされ現在でもハウスクラシックの名曲となっている。

「I Have a Dream」
われわれが自由を響かせると、あらゆる村から集落から、あらゆる州や都会から、自由を響かせると、その日が来るのが早まるのです。神の子みなが、黒人の男も白人の男も、ユダヤ人も非ユダヤ人も、プロテスタントもカトリックも、一緒に手をつなぎ、馴染みの黒人霊歌の言葉をうたい上げるのです。
And when this happens, when we allow freedom ring, when we let it ring from every village and every hamlet, from every state and every city, we will be able to speed up that day when all of God’s children, black men and white men, Jews and Gentiles, Protestants and Catholics, will be able to join hands and sing in the words of the old Negro spiritual:

参考:荒 このみ (翻訳) 『アメリカ黒人演説集』

しかし、この演説後の1968年4月4日暗殺されてしまう。ボノは詩にした。

U2『PRIDE(IN THE NAME OF LOVE)』

愛の名のもとに一人の男が現れた。
One man come in the name of love

一人の男が来て、そして去って行った。
One man come and go

一人の男が現れた。正義の実現のために。
One man come here to justify

一人の男が来た。革命の実現を目指して。
One man to overthrow

翌年には、マルコムXが暗殺
スパイク・リーは、『マルコムX』の映画監督として多くの人々に伝えた。

また、映画のタイトルにもなった。Do the right thing(ドゥ・ザ・ライト・シング)
「当然のことをする」というのがどういうことなのか考えさせられた。