『Blue Symphony ~ジャック・マイヨールの愛した海~』

 先日、『Blue Symphony ~ジャック・マイヨールの愛した海~』を観に行きました。
 映画は、ジャック・マイヨールと縁のあった唐津の人々のインタビュー、唐津の町の魅力を伝える映像で構成されています。一面に広がる海と青い空が印象的でした。

 ジャック・マイヨールは、リック・ベッソン監督の映画『グラン・ブルー』のモデルになり、素潜りでの105mの世界記録を持っており世界的に有名な人です。その運命に影響を受えたといわれる「イルカ」に初めて遭遇したのが、日本の佐賀県唐津市、玄界灘により海食してできた洞がある「七ツ釜」と呼ばれる断崖です。岬は芝でおおわれ、ここから壱岐島《いきのしま》、対馬《つしま》を見わたすことができます。この場所は天然記念物に指定されており絶景との評判です。

 その後、マイアミ水族館で働き、「イルカ」のクラウンから泳ぎ方を学びました。それは、水に対して謙虚《humility》な気持ちを持つということで、人間がもっている物欲などの意識を水のなかには持ち込んではいけない。とのことでした。そして、ジャック・マイヨールは、「ホモ・デルフィナス」という概念を立てました。イルカやクジラが陸から海に還ったように、陸に上がった人間も訓練すれば水棲《すいせい》能力を得られるはずだという仮説を立てました。そして、実験により「イルカ」と同じ血液が一点に集中する「ブラッド・シフト」という生理現象が起こることが分かりました。そして、その概念をさらに発展させ、赤ん坊は母親の羊水にある大海にいるが、誕生すると地球という巨大な羊水の中で呼吸をするんだということを考え、そこから地球の環境問題のことも考えるようになりました。

そして、近代文明について、竹谷 和之『ジャック・マイヨールの遺産』には、スポーツと文化の関係を軸にシンポジウムが行われた内容がまとめられています。20世紀のオリンピックを始め、スポーツ界では「ドーピング」と検査薬をスルーさせる「アンチ・ドーピング」の終わりなき抗争が指摘されています。しかし、人間は常に人為的に身体能力を高めようとする欲求は変わらず。太古から受け継がれている部族社会の儀礼としてペヨーテと呼ばれる幻覚性のサボテンを利用して三日間休むことなく500kmを走破したと云います。これらは、過去の話ではなく。性、軍事、学問、芸術の為に身体・精神の増進、そして労働生産を向上させる為に歴史の中では何度も利用されてきました。ジャック・マイヨールが、水深50m以上潜った際に太陽も届かない。すべてが一面青い世界「グラン・ブルー」を体験し自分の身体が海に溶け込む様な感覚が得られたと書かれています。この神秘的な身体体験ができたのも東洋的なヨーガのトレーニングで呼吸をコントロールしていたこともあるとは思いますが、マラソンで「ランニング・ハイ」という現象があるが、この感覚に近いのではないでしょうか?これらの感覚は、アスリートよりは、一般のランナーに多く感じられると云われています。

つまり私たちの近代文明はすごく物質的なものになり、以前は、精神性を重視していたが、現在の近代文明では「お金」。物々交換ではなく、貨幣制度が頂点に立ち、イメージの肥大が今日の社会を腐敗させていったのではないかと思います。分かり易い物質だと、テレビがそうですね。

最後にジャック・マイヨールと親友の「成田 均」氏の言葉を引用します。

地球環境について
”私たちは毎日海をみて暮らしているのですが、いっこうに綺麗にならない海の現状に対して行動を起こさなくてはならない、とジャックはよく話をしていました。館山では北風が吹くとゴミの大群が浜辺に押し寄せてきます。ここだけでも大変な量のゴミが浜辺に打ち寄せられます。しかし、日本全国の海岸や世界のことを考えると気が遠くなってしまいます。

 それだけではありません。海水や空気の汚染問題も深刻です。企業や家庭から海や河川に流れてくる汚染水、大量の二酸化炭素やフロンガス、ダイオキシン等々に対しては規制はあるものの、いつも後手にまわり、効果が上がっているとはとても思えません。自然の一部である人間が、母なる地球を痛めつけているということは、最終的に自分で自分の首を絞めているようなものです。そのことを忘れてしまっているかのようです。ジャックはよく「スロー・ダウン」という言葉を発していました。それは、いまあるテクノロジーで十分であり、人間に害を及ぼす物質の量を自浄作用に委ねることができる範囲まで下げることを意味しています。きれいな地球であったはるかむかしに戻ることはできません。だとすれば、「足るを知る」(「知足」)ではありませんが、除々に生活そのものの見直しを個々人はもとより、行政も決断をしなければならない時期にきているとおもいます。つまり、資本主義に根ざしたこの社会システムを再考する必要がある、ということでしょう。手遅れにならないためにも…。”

参考資料:
佐藤 嘉尚「潜る人 ジャック・マイヨールと大崎映晋」
竹谷 和之「ジャック・マイヨールの遺産」
ジャック・マイヨール『イルカと、海に還る日』
ピエール・マイヨール/ジャック・マイヨール『海の記憶を求めて』

『モゥモ チェンガ』岩佐寿弥

 チベット人の先祖は猿と岩の精女が結婚した家族と云われており、身体は体毛が多く半猿半人で尻尾があったそうです。チベットという呼び名は、14世紀中から用いられており、それまでは「吐蕃(とばん)」と中国名で呼ばれ、ソンツェンガムポが最初に王朝を開きました。場所はラサから南東に位置するヤルルン地方になります。

 チベット仏教は過去には異教と見なされていましたが、現在では正統な仏教として認められています。チベット人は五十代で引退すると、仕事道具を数珠(じゅず・ずず)に持ち替え信仰を行うと言われています。両手・両膝・額の五カ所を地面に付け礼拝する五体投地(ごたいとうち)を一日に何百回も行い、真言は食事の間も欠かさずに唱えます。生活のために信仰するのではなく、信仰のために生活をする生き方に見えます。

 中国が唐の時代、チベットに文生公主(ぶんせいこうしゅ)という中国皇帝の娘が降嫁(こうか)しました。そして、初めての仏教寺院をラサにあるトゥルナン寺に建てました。そこから学問も生まれたと云われています。そんなチベットの仏教は、文化的には中国の影響を受け、インドから仏教の影響を強く受けることになりました。インド仏教でブッダは人間の「生・老・病・死」などの苦しみを説いたのですが、その「苦」について掘り下げると苦しみの原因は、大きく分けて二つあるそうで、一つは、「業」(カルマ)と呼ばれる宿命的な前世の行いを今生にもってきたもの。もう一つは、「煩悩」と呼ばれる「執着・怒り・慢心・嫉妬」などをいうそうです。調べてみると「苦」というのは、「自分」があるからだと云われています。どういうことかというと「私より、キレイ」とか「あれが欲しい」と思うことが「苦」なる原因だと云われています。そんなことを考える「自分」って何なんでしょうか?この「自分」についてのチベットの高僧の言葉を紹介します。

苦しみとその原因 ロチュー・リンポチェ
「ふだんわれわれが自分を指すとき、何が自分なのか曖昧なまま、無意識に「自分」と言っています。「自分」というのは身体なのか、身体の一部なのか、見たこともない心なのか、あるいはそれら全体なのか・・・よくわかりません。そんな状態で「自分」あるいは「私」と言っているわけです。この状態はまさに「無明」です。あらためて考えると、自分というものの存在をどこにも見つけることはできません。そうやって実体のはっきりしない自分ですが、一方で苦しみは日常的に感じています。ですから、苦しみの実体をつかむことによって、苦しみの生ずる真のプロセスを知ることによって、「自分」の実体をつかむことができます。つまり、「無明」の何たるかを知ることと苦しみの根本原因を知ることは、表裏一体の関係にあるわけです。」『チベット生と死の知恵』松本栄一 平凡社新書

 チベットには現在、大きな「苦」を抱えている。オリンピックが開催された2008年、ラサにおけるチベット人による自由を求めるデモを中国政府が徹底弾圧。しかし、この事件いまにも始まったわけではなく、50年以上の「苦」の中から起こったこととも言える。

 ラサにおけるチベット人による自由を求めるデモを中国政府が徹底弾圧することに始まった。1959年3月にダライ・ラマ法王とともにチベット人がインドに亡命。翌年、北西部にあるダラムサラに移動。現在、6,000人以上のチベット人がここで生活していると云われています。命からがら荷物も持たずに出た地から50年たった今でも戻ることはできず、祖国を離れ異国の地で生活を送るチベット人。「モゥモ チェンガ」と呼ばれるこの老婆も、この難民キャンプに暮らす一人です。
 普段は、家族や友人と会話をしたり、台所の仕事をしたりと平穏な生活を送っていますが、そこには楽しいだけではなく、死や別れもあります。そんな苦難も乗り越え、正月になると家族で健康を願い、最後にはダライ・ラマ法王に排謁(はいえつ)の旅に出るのです。

 紀元7 世紀、チベットでは観音の化身とされている古代統一王朝ソンツェンガムポ王から始まった。1300年経過した現在ではダライ・ラマ法王を中心とした宗教国家となった。一方、日本を始め、アメリカやヨーロッパの先進国では近代工業国として成長していった。それが、長年仏教を守ってきたチベット人への興味が湧くのは、現在の工業だけでは未来に行き詰まりを見せているからであろうと思う。「モゥモ チェンガ」も自分の国も失ってしまった。語る言葉が一語ずつが慈悲に溢れている。長年に及んで守ってきた宗教観と文化を大切にする生き方を美しいを感じることができた。

『モゥモ チェンガ』
2002年/日本/104分/カラー/監督:岩佐寿弥/製作:自由工房

<参考資料>
『チベット生と死の知恵』松本栄一
ISBN 978-4582851243

『チベットの文化 決定版』R.A. スタン (著)山口 瑞鳳、定方 晟 (訳)
ISBN 978-4000013659

『エレクトロショック』ロラン・ガルニエ

 1903年、ミシガン州のデトロイトにて設立された「フォード・モーター・カンパニー」アメリカ三大自動車メーカーである。アメリカ自動車産業の幕を開けと共に人々は職を求め、ヨーロッパからは白人が、アメリカの南部からは黒人労働者が居住。労働者による1811年から1817年頃にイギリスで「ラッダイト運動」。政府は「ワグナー法」を成立。1943年のデトロイトでは警察相手に大暴動が起こる。そして、デトロイト では1950年代に入ると貧困者、移民者のゲットーが深刻化する中、1962年に「モータウン・レコード」が誕生する。そして、1963年Martin Luther King, Jr.(マーティン・ルーサー・キング)が演説をした。ワシントン大行進の年に「strings of life(ストリングス・オブ・ライフ)」を生んだDerrick May(デリック・メイ)が誕生する。

初期のデトロイト作品のコンピレーションアルバム「Retro Techno(レトロテクノ)」のライナー・ノーツの書き出しだ。
『古き産業時代のデトロイトは崩壊したよ。構造変革が起きたんだ。アメリカの殺人的資本主義は結局のところ、多くの黒人労働者に働く意志を喪失させたばかりか六歳の子供の銃まで運ばせた。こんな環境でやる音楽が、ストレートであろうはずがない。つまり、ここから生まれる音楽はニュー・オーダーではなくニュー・ディスオーダーなのさ』”午前三時、デトロイトのドライブ”Derrick May(デリック・メイ)

 Laurent Garnier(ロラン・ガルニエ)はフランスで生まれた。「ハシェンダ」「ハウス・ミュージック」を体験し、音楽を通して感情、厳しさ、経験、そして美しさ。言葉にできない体験、金で買うことができない生き方。その答えがデトロイトにあった。

 テクノはデトロイトで生まれた。Alvin Toffler(アルビン・トフラー)の『The Third Wave(第三の波)』の造語「techno rebels(技術反逆者)」からヒントを得て、Juan Atkinsは「techno(テクノ)」と呼んだ。Juan Atkins(ホアン・アトキンス)、Derrick May(デリック・メイ)、Kevin Sanderson(ケヴィン・サンダーソン)は高校の同級生だった。初期のテクノは、ローランドのリズムマシーンによるドラムとベース、少ない音色のシンセしかなかったが、人間の感情を表現している。イギリスのタブロイド紙は「時として郷愁を、時としてさんざんと輝く太陽のごとき至福を、羞らいもなく溢れんばかりの叙情を聴くものから引き出してしまう」と「strings of life(ストリングス・オブ・ライフ)」を評しているのもうなずける。

 そんなデトロイトとテクノをLaurent Garnier(ロラン・ガルニエ)は次のように語っている。
『車のエンジンは回転して、高速で突っ走った。デトロイトのダウンタウンを標示する看板が固定する目に見えない境界を一度越えると、町の幅広い通りが延びている。夜だ。青ざめたライトの中、腐食した壁が崩壊寸前のしなびた模様となって次々と流れていく。遠くにGとMを掲げたタワーが見える。タクシーの運転手は廃墟に対する地元のプライドを見せるかのように、タワーを指さすー「見なよ、あそこがジェネラル・モーターズのタワーさ!」
 ガラスと鋼鉄のタワーの頂上にある赤と青の頭文字は、死にかけているデトロイトを示していた。僕はタクシーのなかで思い出すー最初にデトロイトという名前を誰かから聞かさせたのはいつのことだったろう?
(略)……….ジョン・コルトレーンからデリック・メイまで、その夢想は同じだー宇宙、時間、グルーヴと無限のメランコリー。そして僕がデトロイトにいるのはこうした理由においてだー町のヴァイブを感じること、自分のテクノ・マスターたちと会うこと。純粋で、しかも巨大な悲しみに包まれている彼らの音楽を理解すること。なぜこの音楽はこんなに多くの感情、厳しさ、経験、そして美しさを含有しているのかその根拠をつかむこと。廃墟の町に辿り着くこと、デトロイトの謎を解くよう努めること、みんなに訊くこと、それぞれの記号について質問することを僕は想像していた。しかし、すべては町の歴史に刻まれていたんだ。』

 Laurent Garnier(ロラン・ガルニエ)はフランスにテクノを伝え、国民的な英雄となった。Derrick May(デリック・メイ)の「strings of life(ストリングス・オブ・ライフ)」は、現在でも伝説として語り継がれ、今もどこかのスピーカーから流れつづけるだろう。音楽に対する情熱とテクノのルーツを通して、社会と時代の変化を感じることができる一冊。

『エレクトロショック』ロラン・ガルニエ/ダヴィッド・ブラン=ランベール
アレックス・プラット(訳)
野田 努(監修)
ISBN 978-4-309-26911-5

<参考資料>
『クラブ・ミュージックの文化誌 ハウス誕生からレイヴ・カルチャーまで 』野田 努+宝島編集部
ISBN 978-4796606202