パラダイス・ガレージの時代

暗闇の中を手探りで進む。壁が軋み低音が響き渡り、身体の奥にある細胞を刺激する。スモークにレーザーやミラーボール、ケミカルなファッション、踊り狂う人々、毎日が世紀末の連続で常に過去や未来をループしながら再生している。そんなクラブカルチャーが誕生してたのは80年の末、90年代の「レイヴ」やミレニアムを迎えて再び勢いを付けた「イビサ」まで、現在も多くの人々を魅了し、今や国を上げての市場にまで昇り積めたダンスミュージックだが、それはアメリカの片隅から浸透していったのだ。

「最初のディスコ・ブームが訪れた六〇年代は、ダンス・ミュージックというカテゴリが生まれるよりも何年も前のことだった。人を踊らせるための音楽作りを専門としたプロデューサーなど存在していなかったし、人々をダンスフロアに駆り立てることを目的とするグループもいなかった。その頃はどんなグループや歌手も、多彩な曲を出すことが普通だった。バラード、ミディアムテンポのナンバー、ブルース、R&B風の曲、典型的なポップソング、そしてアップテンポで踊れる曲などが一緒くたになっていた。しかし、そんな中にもよりダンサブルな曲が存在していたのも確かだ。誰だって、ピーター・ポール&マリーよりもモータウンの曲に足が動いてしまうものだ。だがその頃のダンス・レコードはあらゆるところから出てくる可能性があり、実際にそういうことが起きていた。したがって初期のDJの最も重要な仕事の一つは、毎月発売される大量のレコードをくまなくチェックし、最もダンサブルな曲を見つけ出すことだった。ビートルズからザ・テンプテーションズ、オーティス・レディングからハーマンズ・ハーミット、ペトラ・クラークからザ・シュープリームスまで、あらゆるところに可能性があった。そして〈アーサー〉のテリー・ノエルのような優れたDJたちは、フランク・シナトラやボブ・ディランといった、全く予想外のアーティストたちの作品の中から、フロアに最適な曲を見つけだしてきた。」

それは選曲だけではない。ターンテーブルを二台使うなんて、誰が考え出すんだろう。客のリクエストカードに応えるだけなんてもってのほかだった。DJが自ら感じ提供する事で一体化する「ヴァイブ」となったのだ。

「DJの先駆者たちはダンサブルな曲を探すだけではなく、レコードをプレイする方法においても様々な試みをするようになった。六〇年代半ばまでは、レコードをかける行為自体に何らかの芸術性があるなどと考えるのは馬鹿げているように思えた。もちろん、DJの優劣は存在し、中でも最も優れた者は、客の雰囲気を感じ取り、選曲と曲順によってその夜のエネルギーを変幻させることができた。しかし、それ以上の創造性は発揮しようがなかった。ターンテーブルが一台しかないDJブースで、DJにそれ以上何が出来たというのだろう?

 通常は選曲が終わるとしばらくの間音が止まり、客はダンスフロアを離れたり、パートナーを変えたり、もしくはその場で立ち話をしながら次の曲がかかるのを待った。それが至極当然と思えたのは、生バンドが演奏する場合も同じだったからだ。しかし転機が訪れたのは一九六五年頃、テリー・ノエルが〈アーサー〉のブースに二台のターンテーブルを設置し、交互にレコードをプレイするようになった時だ。彼は曲がフェードアウトするところで次の曲をかけ、ダンスフロアに休む間を与えないようにしたのだ。今日ではそれがあまりに当たり前になってしまったため、原始的にさえ思える。現代のDJたちは曲をノンストップでかけるだけでなく、それらをミックスし、何時間にも及ぶ綿密なセットにブレンドしていき、ダンサーたちを精巧なトリップへと誘う。しかし、当時はレコードがノンストップで次々とプレイされるというだけでも十分に新鮮で、それだけで人々は熱狂したのだった。」

更にダンサー達の要望は限界を知らない。創造性は新たな手法が開発されるとともに、快楽もピークに迄達したのであった。

 「音楽において画期的なスタイルが誕生する背景には、様々な革新がある。例えば、曲の新しい書き方、歌の新しい歌い方、新しい楽器の使い方や編曲の仕方にリズム、新しいマーケティング・アイディア、新しい技術など。もう一度繰り返すが、「ただの偶然などあり得ない」のであり、その時まさに起きていたことも、偶然などではなかった。あらゆる方面から革新の波が押し寄せてきたのが一九七三年であり、それが総合的に基盤を築いていったのだ。

 ディスコというスタイルが形成されていくに従い、DJたちは新しいレコードのかけ方を模索し始めた。一枚のレコードを継ぎ目なく次のレコードを繋ぐという技は、既にニッキー・シアーノ、デイビッド・マンキューソー、ラリー・レヴァン、フランキー・ナックルズといったパイオニアたちが極めてしまっていたために、それだけでは不十分だった。彼らは新しい方法で曲を作り変えたり、曲の途中からかけたり、引き延ばしたり、自分たちのやり方で自分の色を加える方法を探し始めていた。もちろん、そんなことをするのは不可能に近かった。大抵のDJは二台のターンテーブルで、同じ曲のレコードを二枚使ってミックスすることを試みていた。そうすることいよって多少の個性を発揮することは出来たものの、全く同じレコード二枚ではできることが限られていた。私の友人のDJである何人かが、いい解決策を考案した。もし同じ曲のインストゥルメンタル・ミックス、つまりヴォーカルの入っていない伴奏だけのレコードが手に入れば、いろいろなことができるというのだ。曲のヴォーカル部分で突然インストゥルメンタルに切り替えたり、曲を引き延ばしたり、様々なリフやフックを孤立(アイソレート)させることでエネルギーを増進出来る。そして客の興奮がピークに達したところでDJがヴォーカルをぶち込めば、フロアを爆発させることができた。」

DJを語るには必要な原形である。それは偶然でもあり、必然であったのではないだろうか?まるで空を眺めていたら繋ぎ合わさった星座のように何もかもが革命的だ。そして、本書には現在も「パラダイス・ガレージ」や「ラリー・レヴァン」が何故リスペクトされているかを生々しく語られている。それが良かったのか、正しかったのかは分からない。その為には踊り続けながら最悪な航海に出るしか無かったのだから…

<参考資料>
メル・シェレン 著(浅沼優子 訳)『パラダイス・ガレージの時代〜NYCクラブカルチャー・光と影』(2006 ブルース・インターアクションズ)
ISBN-10:4860201760

フィルムメーカーズ-個人映画のつくり方

フィルムメーカーズ-個人映画のつくり方

序章で金子氏は語る。金子遊:”映画はたった一人の個人の手で作ることができるものです。日本には戦前から作られ続けてきた小型映画の歴史があり、戦後も幾度とない八ミリや一六ミリのフィルムによるホームムービーの流行がありました。そして近年、一九九〇年代半ばから二〇〇〇年代にかけては、家庭用ビデオカメラの高画質とノンリニア編集の一般へ普及が、個人による映画・映像制作の後押しをしてきたと言うことができます。”

松本氏”商業映画を制作する場合、多くの人間がかかわり予算の問題も絡んできて、計画的にやらなくては物事が動かない。そういう作り方の窮屈さに対して、詩人が詩を書くように、絵描きが絵を描くように他人にとやかく言われないで自分自身の映画世界を作っていけるのが個人映画です。”

作家の「言霊(たましい)」が込められているのだろう。

http://ja.wikipedia.org/wiki/フィルムメーカーズ_個人映画のつくり方

言うまでもないが松本氏の映像に対する洞察力は素晴しく芸術の域に達している。
評論集『映像の発見』のインタビューからドキュメンタリーという意識。”外部的な現実世界において、人間の意識が気づかずにいたものが突如意識のなかに入り込んでくることがあります。人間は自分が接する世界を自分との関係のなかに整合して、ある一定の意味的秩序のなかに収まるように認識するものです。”

一方、無意識の
”……..もう一つは、アバンギャルドの問題です。自分が気づかない無意識の世界が、妙に気になる形で表に底から頭をもたげてくることがあります。本能とか、突然襲ってくる狂気とか、自分でも理解できない何かが蠢くときがあります。自分自身の秩序立った世界が自明のものとして成り立たなくなり、もっと混沌としたカオスへと突き落とされていく。そのカオスがもたらす世界は、先ほど話したドキュメンタリーの世界が意識の外側から来て意識を錯乱するのと。とても似た働きをします。この二者は対照的に見えるけど、サイフォンの通底器のようにその底で繋がっているのではないか、と思いました。”

<参考資料>
『フィルムメーカーズ-個人映画のつくり方』金子 遊
ISBN 978-4901592635

『アメリカ黒人演説集』荒 このみ (訳)

1863年にリンカンは「奴隷解放宣言」を行っていたが、その後、100年以上も抑圧されていた。
オバマの登場と共に時代が変わる。

1963年8月28日にキング牧師の演説「I Have a Dream」は、行われる。民衆を動かした。
ハウス・ミュージックのシカゴレーベル「Trax」からの「Can You Feel It」にもサンプリングされ現在でもハウスクラシックの名曲となっている。

「I Have a Dream」
われわれが自由を響かせると、あらゆる村から集落から、あらゆる州や都会から、自由を響かせると、その日が来るのが早まるのです。神の子みなが、黒人の男も白人の男も、ユダヤ人も非ユダヤ人も、プロテスタントもカトリックも、一緒に手をつなぎ、馴染みの黒人霊歌の言葉をうたい上げるのです。
And when this happens, when we allow freedom ring, when we let it ring from every village and every hamlet, from every state and every city, we will be able to speed up that day when all of God’s children, black men and white men, Jews and Gentiles, Protestants and Catholics, will be able to join hands and sing in the words of the old Negro spiritual:

参考:荒 このみ (翻訳) 『アメリカ黒人演説集』

しかし、この演説後の1968年4月4日暗殺されてしまう。ボノは詩にした。

U2『PRIDE(IN THE NAME OF LOVE)』

愛の名のもとに一人の男が現れた。
One man come in the name of love

一人の男が来て、そして去って行った。
One man come and go

一人の男が現れた。正義の実現のために。
One man come here to justify

一人の男が来た。革命の実現を目指して。
One man to overthrow

翌年には、マルコムXが暗殺
スパイク・リーは、『マルコムX』の映画監督として多くの人々に伝えた。

また、映画のタイトルにもなった。Do the right thing(ドゥ・ザ・ライト・シング)
「当然のことをする」というのがどういうことなのか考えさせられた。

『Blue Symphony ~ジャック・マイヨールの愛した海~』

 先日、『Blue Symphony ~ジャック・マイヨールの愛した海~』を観に行きました。
 映画は、ジャック・マイヨールと縁のあった唐津の人々のインタビュー、唐津の町の魅力を伝える映像で構成されています。一面に広がる海と青い空が印象的でした。

 ジャック・マイヨールは、リック・ベッソン監督の映画『グラン・ブルー』のモデルになり、素潜りでの105mの世界記録を持っており世界的に有名な人です。その運命に影響を受えたといわれる「イルカ」に初めて遭遇したのが、日本の佐賀県唐津市、玄界灘により海食してできた洞がある「七ツ釜」と呼ばれる断崖です。岬は芝でおおわれ、ここから壱岐島《いきのしま》、対馬《つしま》を見わたすことができます。この場所は天然記念物に指定されており絶景との評判です。

 その後、マイアミ水族館で働き、「イルカ」のクラウンから泳ぎ方を学びました。それは、水に対して謙虚《humility》な気持ちを持つということで、人間がもっている物欲などの意識を水のなかには持ち込んではいけない。とのことでした。そして、ジャック・マイヨールは、「ホモ・デルフィナス」という概念を立てました。イルカやクジラが陸から海に還ったように、陸に上がった人間も訓練すれば水棲《すいせい》能力を得られるはずだという仮説を立てました。そして、実験により「イルカ」と同じ血液が一点に集中する「ブラッド・シフト」という生理現象が起こることが分かりました。そして、その概念をさらに発展させ、赤ん坊は母親の羊水にある大海にいるが、誕生すると地球という巨大な羊水の中で呼吸をするんだということを考え、そこから地球の環境問題のことも考えるようになりました。

そして、近代文明について、竹谷 和之『ジャック・マイヨールの遺産』には、スポーツと文化の関係を軸にシンポジウムが行われた内容がまとめられています。20世紀のオリンピックを始め、スポーツ界では「ドーピング」と検査薬をスルーさせる「アンチ・ドーピング」の終わりなき抗争が指摘されています。しかし、人間は常に人為的に身体能力を高めようとする欲求は変わらず。太古から受け継がれている部族社会の儀礼としてペヨーテと呼ばれる幻覚性のサボテンを利用して三日間休むことなく500kmを走破したと云います。これらは、過去の話ではなく。性、軍事、学問、芸術の為に身体・精神の増進、そして労働生産を向上させる為に歴史の中では何度も利用されてきました。ジャック・マイヨールが、水深50m以上潜った際に太陽も届かない。すべてが一面青い世界「グラン・ブルー」を体験し自分の身体が海に溶け込む様な感覚が得られたと書かれています。この神秘的な身体体験ができたのも東洋的なヨーガのトレーニングで呼吸をコントロールしていたこともあるとは思いますが、マラソンで「ランニング・ハイ」という現象があるが、この感覚に近いのではないでしょうか?これらの感覚は、アスリートよりは、一般のランナーに多く感じられると云われています。

つまり私たちの近代文明はすごく物質的なものになり、以前は、精神性を重視していたが、現在の近代文明では「お金」。物々交換ではなく、貨幣制度が頂点に立ち、イメージの肥大が今日の社会を腐敗させていったのではないかと思います。分かり易い物質だと、テレビがそうですね。

最後にジャック・マイヨールと親友の「成田 均」氏の言葉を引用します。

地球環境について
”私たちは毎日海をみて暮らしているのですが、いっこうに綺麗にならない海の現状に対して行動を起こさなくてはならない、とジャックはよく話をしていました。館山では北風が吹くとゴミの大群が浜辺に押し寄せてきます。ここだけでも大変な量のゴミが浜辺に打ち寄せられます。しかし、日本全国の海岸や世界のことを考えると気が遠くなってしまいます。

 それだけではありません。海水や空気の汚染問題も深刻です。企業や家庭から海や河川に流れてくる汚染水、大量の二酸化炭素やフロンガス、ダイオキシン等々に対しては規制はあるものの、いつも後手にまわり、効果が上がっているとはとても思えません。自然の一部である人間が、母なる地球を痛めつけているということは、最終的に自分で自分の首を絞めているようなものです。そのことを忘れてしまっているかのようです。ジャックはよく「スロー・ダウン」という言葉を発していました。それは、いまあるテクノロジーで十分であり、人間に害を及ぼす物質の量を自浄作用に委ねることができる範囲まで下げることを意味しています。きれいな地球であったはるかむかしに戻ることはできません。だとすれば、「足るを知る」(「知足」)ではありませんが、除々に生活そのものの見直しを個々人はもとより、行政も決断をしなければならない時期にきているとおもいます。つまり、資本主義に根ざしたこの社会システムを再考する必要がある、ということでしょう。手遅れにならないためにも…。”

参考資料:
佐藤 嘉尚「潜る人 ジャック・マイヨールと大崎映晋」
竹谷 和之「ジャック・マイヨールの遺産」
ジャック・マイヨール『イルカと、海に還る日』
ピエール・マイヨール/ジャック・マイヨール『海の記憶を求めて』